美人女優の有村架純さんの両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。
有村架純さんの家族や実家について気になる人も多いと思います。
この記事では、有村架純さんの父親や母親、兄弟はどんな人なのか、実家はどこにあるのか、実家はお金持ちだったのか紹介していきます。
有村架純の家族構成
有村架純さんの家族構成は、
- 父親
- 母親
- 姉
- 有村架純さん
の4人家族で2人姉妹の妹でした。
しかし、小学生のときに両親が離婚されて、母親に引き取られています。
なのでその後は、
父親を除く3人で生活をされています。
そんな有村架純さんの家族はそれぞれどんな人なのか、父親から順に紹介していきます。
有村架純の父親
有村架純さんの父親の職業や、有村架純さんとの関係性について、詳しく紹介していきます。
父親の職業
有村架純さんの父親の職業は分かっていませんが、会社に勤めるサラリーマンだったと考えられます。
理由は、休日には家族全員でお出かけしていたことが分かっているからです。
(家族全員でのお出かけについては、後ほど詳しく紹介していきます。)
毎週休日をとって家族全員でお出かけすることは、休みが不定休になる経営者や個人事業主では難しいです。
なので、一般的なサラリーマンで会ったと考えられます。
父親は鹿児島出身
有村架純さんの父親の出身地は、鹿児島県だと言われています。
父方の祖父母の自宅が、鹿児島県南九州市にあるからです。
また、SNS上では鹿児島県川辺町(現在の南九州市)が父親の出身地だと言われていたからです。
自身初の鹿児島ロケだが、祖母が鹿児島市に住んでおり「中学を卒業するまでは毎年(同市に)来ていた」と懐かしい景色を喜んだ。
引用元:サンスポ
父親は厳しかった
有村架純さんの父親は、有村架純さんが幼少期の頃から厳しかったようです。
「教育されていたのは言葉遣いですね。行儀が悪いと怒られるし、口が悪いと怒られるし。とにかく“丁寧な言葉を使いなさい”と」と紹介。「ご飯を食べるときは、正座しないと怒られるし、肘をついたりしても怒られるし、テレビを見ていても怒られるし」と続けた。「私は女兄弟で男の子がいないので、だから余計に父親が女性としてちゃんと育ててくれたのかなと思います」と思いを馳せた。
引用元:モデルプレス
しつけはめちゃめちゃ厳しかったようですが、そんな父親を嫌いになることはなく、親子関係は良好だったようです。
有村架純は父親が大好き
有村架純さんは父親のことが大好きだったみたいです。
小さい頃はずっと父親の後をついて回っていたみたいで、父親とずっと手をつないでいたとか。
日曜になると、家族であちこち遊びに出かけました。私はいつもお父さんと手をつなぎます。指はあまり長くなくて、ゴツゴツして、あったかい。その手を独占していました。
引用元:朝日新聞
また、毎週日曜日には、家族全員でお出かけすることが多く、夜にはテレビ番組「ちびまる子ちゃん」を観ながら、家族全員で夕食を食べるのが習慣だったそうです。
日曜日には父親がたこ焼きを作ってくれていたことも、テレビで語っていました。
有村架純さんは父親のことを「パパ」と、父親は有村架純さんのことを「かっすん」と呼んでいたようで、有村架純さんの芸名の「純」は、父親の名前から採用されているようです。
日曜日の夜はみんなで「ちびまる子ちゃん」を見ながらごはんを食べます。父がたこ焼きを焼いてくれることもありました。でも、テレビばっかり見ていると叱られました。「かすみ、ちゃんと食べろ」って。普段、「かっすん」って呼ぶときとは違う、低い声でした。
引用元:朝日新聞
父親はユーモアがある
有村架純さんの父親はとてもユーモアがあり、笑わせてくれたそうです。
特に、ファッションや髪型と言ったオシャレに気を遣って、イケメンな父親だったようです。
髪形やファッションにこだわりがある人で、格好良くて優しい。でも変な顔をして、よく笑わせてくれました。
引用元:朝日新聞
離婚後は無愛想な態度を父親にとっていた
有村架純さんの父親は自身の浮気などが原因で、両親は有村架純さんが小学4年生の時に別居されていて、有村架純さんが中学生の時に両親が離婚されています。
そこから有村架純さんは父親とあまり連絡を取っていなかったそうです。
なんでも、高校2年生の上京するときに父親から連絡が来ても、有村架純さんは心の整理がついておらず、電話をすぐに切って無愛想にしてしまっていたそうです。
有村架純さんは、父親のことが大好きだったため、両親の離婚によって父親と一緒に住めなくなることが寂しかったみたいです。
無愛想にしてしまったことを申し訳なく思い、20歳の時に有村架純さん自ら連絡を取り、今では良い親子関係に戻って、仲良くしているみたいです。
高校2年で仕事のために上京することになり、父と話しました。母から急に電話を渡されたんです。小学6年ぐらいから会っていませんでした。心の整理がついていなかったので、すぐに切っちゃいました。「申し訳ないことをした」。そんな気持ちがずっとありました。
今年20歳になって、自分で父に電話をしました。たった一人の父親。このまま連絡を取らないのも嫌だな、と思って。さすがに勇気が要ったかな。すっごくドキドキしました。
引用元:朝日新聞
父親は応援してくれている
有村架純さんが20歳の時に電話した時に、父親に「応援しているよ」と言って、とても喜んでいたそうです。
それまでも父親はテレビや雑誌を観て、有村架純さんの活躍を応援されていたそうです。
また、有村架純さんに「ホンマに真っ直ぐ育ってくれたな。ありがとう。」と感謝の気持ちも言ってくれたようです。
父はびっくりしていましたね。ドラマや雑誌を見てくれていて、「応援してるよ」って言ってくれました。「ほんまにまっすぐ育ってくれたな。ありがとう」って。
この仕事をすることで、父に私の姿を見てもらいたいというのは気持ちのどこかにありました。応援してくれていたんだと分かって、すごくうれしかったですね。
引用元:朝日新聞
有村架純の母親
有村架純さんの母親の年齢や職業、有村架純さんとの関係など詳しく紹介します。
母親の年齢と顔画像と性格
有村架純さんの母親のご年齢は、2017年に有村架純さんが母親の年齢について48歳と言われていたので、生年月日は1969年前後生まれだと考えられます。
有村架純さんの母親の明確な顔画像はありませんでしたが、茶髪のパーマヘアが特徴的な美人な方のようです。
その奥で忙しく料理を作る40代と思しき美人女性がいた。ゆるくパーマのかかった茶色い髪にキレイな顔立ち。彼女こそ、有村の母だった。
引用元:女性自身
有村架純さんの母親の性格は、明るいのに落ち着いていて、しっかり者の方のようです。
母親は飲み屋を経営
有村架純さんの母親は、兵庫県伊丹市で日本アルコール飲料バルのお店「バル酌-syaku-」を経営されています。
母親は、現在ではお店を経営されていますが、父親と離婚する前までは、スーツを着て出勤するお仕事をされていたみたいです。
父親との離婚したことや、有村架純さんが女優として活躍されたことから、ご自身の夢を叶えようとオープンしたようです。
「バル酌-syaku-」の口コミでは、「日本酒好きには聖地的なお店」と記載されていて、かなり評判が良いようです。
有村架純さんの母親はめちゃめちゃ明かるく、接客することが好きなようで、利用したお客さんからも気さくな方で楽しい時間を過ごせました」といったコメントが多くありました。
ちなみに、有村架純さんからも母親はサラリーマンより、ビジネスを立ち上げていく方があっていると言われているようです。
架純からも『お母さんは会社勤めより自分で独立してやりたいことをやっていくほうが向いている気がする』とよく言われていましたね
引用元:女性自身
母親は経営に娘の名前を使っていない
有村架純さんの母親が「バル酌-syaku-」を開店するときに受けた取材では、有村架純さんではなくお店に焦点を当てて取材してほしいと話されていました。
たしかに私は有村架純の母ですが、娘と店は関係ありません。そこは混同させたくないんです。ですので、取材していただくなら店の話をメインでお願いします(笑)
引用元:女性自身
また、新型コロナウイルスが流行した2020年には、「バル酌-syaku-」もマスクを兵庫県伊丹市に寄付されていたことも分かっています。
兵庫県伊丹市は、新型コロナウイルスの感染防止対策として、市内の妊婦約1600人を対象にマスクを20枚ずつ配布する。配布するマスクのうち約1万3千枚は、伊丹大使を務める女優有村架純さんの母親が経営する飲食店を含む市内3社が寄付。
引用元:神戸新聞
社会の為に、娘の為にかなり動かれている方だと分かりますよね。
母親はずっと支えてくれていた
女優になるという夢を持った有村架純さんの背中を押したのは母親でした。
有村架純さんは所属事務所であるフラームに合格するまでに、何度もオーディションに落ちていたことをテレビ番組で語っていました。
何度もオーディションに落ちて、有村架純さんが落ち込んでいる時に、「あんたがそんなことでどうするの!」と励ましてくれたのは母親だったそうです。
「それでも夢を諦めなかったのは、母親がいたから。オーディションに落ちて泣いたときに、『あんたがそんなんでどうすんの!』って叱ってくれて、母親がいて本当によかったなって思ったんです。今も母親の存在は支えになってますし、少しずつ守っていきたいって思うようにもなった。支えられるところは支えたい。そう思うことが、私のお仕事への原動力になってます」。そう真剣に語ったあと「子どもながらの、ささやかな気持ちなんですけどね」と、小さく笑い、柔らかな表情を浮かべた。
引用元:モデルプレス
有村架純さんが女優の道を諦めずにすんだのは、母親のおかげですね。
また、「ビリギャル」の主演が決まったときには、「あんたなら大丈夫よ」と言葉をかけてくれたみたいです。
「ビリギャル」の出演が決定した際には、母親が「あんたなら大丈夫よ」と言ってくれた
引用元:モデルプレス
他にも、2017年放送のドラマ「ひよっこ」に有村架純さんが出演された際には、有村架純さんの家事全般を手伝っていたことも在るそうです。
今の有村架純さんがあるのは母親の力も大きいですね。
現在も、有村架純さんは母親と仲が良く、頻繁に連絡を取っているそうです。
有村架純の姉
有村架純さんの姉は、皆さんご存じだと思いますが、タレントや女優である有村藍里さんです。
姉の経歴
1990年8月18日生まれです。
有村架純さんとは3歳差ですね。
元々、『新井ゆうこ』という芸名で、アイドルとして活動されていましたが、現在は本名で活動され、アパレルやコスメブランドのプロデュースもされています。
芸名を改名したきっかけは、有村架純さんからの「好きな事やったらええやん」という助言だったそうです。
写真から、2人の仲の良さを感じられます。
姉は洋服ブランドを立ち上げた
有村架純さんの姉の有村藍里さんは、2021年7月に洋服ブランド「rose bleue」を立ち上げています。
そして、2022年3月にはコスメブランド「CLARUM」も立ち上げられています。
有村藍里さんは洋服好きで、ブランドの立ち上げは小学校からの夢だったようです。
自らデザイナーさんへの伝え方も学んできたそうです。
小学生のころからファッションへの関心が高く、「いつか自分で洋服が作れたら、と思っていた」という有村。専門的な知識がなかったため、「デザイナーへの伝え方から学んだ」と振り返った。
引用元:中日スポーツ
仲良し姉妹
有村架純さんとの仲もとても良く、それぞれのインスタグラムで微笑ましい2ショットをたくさん見ることができますよね。
姉の有村藍里さんが2017年11月17日放送のテレビ番組『ロンドンハーツ』に出演された際には、有村架純さんの服を借りて出演していることや、有村架純さんの自宅に行っては勝手に服を着ていることも明かされていました。
それに対して有村架純さんは、気づいたら服がなくなっていると笑っていたそうです。
また、有村架純さんは姉の有村藍里さんの誕生日に手作り料理を作って祝ったり、手作りケーキを作ったりもするそうです。
妹が誕生日のお祝いで作ってくれたの🍴💓🐻 pic.twitter.com/lnCylA9oB1
— 有村藍里 (@arimuraairi) August 19, 2017
姉妹の仲良しなエピソードは多すぎて紹介しきれないほどなので、相当仲良しなのでしょうね。
有村架純の祖父母
有村架純さんの父方の祖父母は、鹿児島県南九州市(旧川辺町)に住んでいると言われています。
有村架純さんは祖母と仲が良く、夏休みは両親が共働きだったことから、毎年祖母の家を訪れて、キャンプなど楽しんでいたようです。
卒アルが出たということで、寝る前に幼少期の画像を投下。#有村架純 pic.twitter.com/0NznJRQ3hL
— ふみ☺︎ (@arikasu77) August 19, 2014
そんな祖母は、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の撮影中だった時期に亡くなられています。
祖母はドラマを楽しみにされていて、お見舞いへの回数も少なかったことから、残念な気持ちや後悔の気持ちがあったようです。
私も実家がある関西で大好きだった祖母が亡くなったとき、もっとお見舞いに行けばよかったと思いました。
引用元:好書好日
また、もし有村架純さん自身が過去に戻れるならというインタビューの質問に、「もう1度おばあちゃんの手作りおにぎりを食べたい」と祖母に再会したい思いを明かされていました。
「もう一度、おばあちゃんがにぎったおにぎりが食べたいですね」こう語るのは、映画『コーヒーが冷めないうちに』(9月21日公開)で主演を務める有村架純(25)。過去に戻れる喫茶店を舞台にした本作にちなみ、“もし自身が過去に戻れるなら?”と尋ねると、祖母に会いたい、と答えてくれた。
引用元:女性自身
そんな祖母からはポテトサラダのレシピなど様々な料理スキルを学んでいたようで、現在もそのレシピ通りに作り続けられているようです。
ちなみに、祖母との思い出のエピソードは、じゃがいもを蒸す時は片手鍋で振り回していたそうです。
「一緒に料理もしてたな~。ポテトサラダはおばあちゃんに教えてもらったレシピで今も作っています。一緒に片手鍋を振り回して、じゃがいもをふかしたりしていましたね」
引用元:女性自身
結構力持ちでパワフルな祖母だったのかもしれませんね。
そんなポテトサラダの作り方は、2014年3月放送の朝の情報番組『めざましテレビ』で、実践されていました。
今日のすっPPINには有村架純さんが登場♪ポテトサラダ美味しそうだったなぁ( *´艸`)有村さん料理上手だったね♪#めざましテレビ pic.twitter.com/4liZlsWAPf
— めざましテレビ (@cx_mezamashi) March 19, 2014
有村架純の実家は伊丹?
有村架純さんの実家は、兵庫県伊丹市の昆陽池公園近くにあります。
有村架純さんは兵庫県伊丹市出身だと公表されていて、2013年から有村架純さんは伊丹市大使をされています。
また、有村架純さんは伊丹市内にある家の近くに「昆陽池公園」があったことを明かされていました。
伊丹の好きな場所の話題では「昆陽池公園」を挙げ「家が近く、よく友だちとセミとりをしたり、おばあちゃんと散歩したりした。自分の成長を見守ってくれた場所」と振り返った。
引用元:神戸新聞NEXT
他にも、有村架純さんの母親が、伊丹市内で日本酒バルを経営されています。
ちなみに、有村架純さんが小学2年生の頃に新築一軒家を建てて、暮らしていたそうです。
しかし、両親が離婚してからは、一軒家を売り、賃貸の集合住宅で生活をしていたそうです。
有村架純の実家はお金持ち?
有村架純さんの母親が経営されている日本アルコール飲料バルは、120種類以上の日本アルコール飲料を取り扱っているお店で、常時満席状態のかなり人気のお店です。
このお店は人気ですし、有村架純さんも姉の有村藍里さんも芸能活動をされているので、現在のご実家はそこそこお金持ちなのではないでしょうか。
しかし、有村架純さんは母子家庭で、高校生の頃から週6日は寿司屋でバイトし、家族三人で家庭の生計を支えていたため、昔はあまり裕福だったとはいえないかもしれませんね。
有村架純の家族や実家についてのまとめ
この記事では、有村架純さんの父親や母親、兄弟はどんな人なのか、実家はどこにあるのか、実家はお金持ちだったのか紹介してきました。
有村架純さんの家族や実家について、下記のことが分かりました。
- 家族構成は、父親、母親、姉、有村架純さんの4人家族で、2人姉妹の妹
- 父親は鹿児島県出身のサラリーマンで、幼少期は厳しく教育していた
- 母親は兵庫県伊丹市でバル「バル酌-syaku-」を経営していて、明るくてしっかり者
- 姉はタレントや女優の有村藍里さん
- 祖母は鹿児島県南九州市に住んでいて、有村架純さんと仲が良く、毎年夏休みに訪れていた
- 実家は兵庫県伊丹市の昆陽池公園近くにあり、家族3人で生活していた
- 母親が経営するお店は人気で現在の家庭は裕福ですが、過去には母子家庭で苦労もあった
有村架純さんは結婚や妊娠をしているとも言われているので、今後新しい家族がどんどん増えていくのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。